気付いたら雪子ちゃんと同じ年
北の国からで一番お気に入りなキャラクターの雪子ちゃんと、まさか同じ年になるまで年月が経ってしまいました。
不倫諸々からの失恋で、自分の中の東京の地図から下北沢消し去ってしまった雪子ちゃんと。
雪子ちゃんとは違い、私は未だに東京にいます。
2年と8ヶ月住んだ家を、先月の大晦日前日に引き払いました。
空っぽになった部屋を、ありがとうを込めて一人で拭き掃除しました。
終わった頃にはちょうど部屋に夕日が差し込んできて、泣くのはこれで最後にしようと思い切り泣いた。
余った雑巾で涙を拭いてから、お世話になった大家さんに挨拶を済ませて今の家に帰りました。
それからは毎日忙しくしようと、とにかく人に会った。
きっとこの短期間で、私としては1年かけて出会う人数の人に新しく出会った気がする。
いい人もいれば変わった人もいる。
どんな人でも「私」ってゆう一個人として会ってくれて話をしてくれる事がすごく嬉しい。
これまでは私から新しい人に出会おうとすることはしていなくて、誰も彼も「◯◯の彼女」という事で話しをしてくれていたから。
それに気付いたのは、彼が前のアパートから荷物を引っ越した日。
かれこれ2年くらい前から、東京に来る度に遊んでいた彼の友達が引っ越しの手伝いに来た。私もついて一緒に飲みに行ったり二人で話すこともあった、これからも普通に話したいと思っていた人。
引っ越し当日、挨拶するも返ってこない。
終始、彼は私の目すら合わせずに作業をしていました。
ショックではあったけど、そうゆう事実に気付けて今出会えている人達を単純に大切に思えるようになったから、少しはましな人間になれたんじゃないかなと思う。
そこまでは良かったけど、風邪気味で出掛け過ぎたらインフルエンザになりました。
仕事復帰までもうちょいです。
引越し先が決まりました。
あれから1ヶ月が経ちました。
穏やかに日々が過ぎていきます。
決まった新居はシェアハウス。
あれから徐々に部屋の物を処分する事に休日を費やす。
思えば辛かったのは最初の1週間。
何を食べても味のしないゴムを食べているような日々が続いて、
無気力のままじゃどうしようもないと思って、筋トレとヨガを始めて心も体も段々と安定してきた。
とりあえず今までできなかった、やりたい事リストを作った。
・開山したらすぐ富士登山。御来光を拝む。
・沖縄一人旅
・泳げるようになる(スイミングスクールに通う)
・朝ウォーキング
・Webデザインの勉強
・犬を飼う
・アニメイベントに参加してみる
今はいろんな事を少しづつマイペースに始めています。
2週間後には今の家を出てシェアハウスに移ります。
不思議と寂しさとか悲しさより、先の事への期待と不安でいっぱいです。
時々泣きたくなるけど、すぐに収まる。
きっとあの日にタクシーで思い切り泣き喚いて、あれから涙が出る事がほとんどなくなった。
ついこないだまで、自分はこの人と結婚して子どもを作って、週末には家族と公園に出かけて、子どもが成長したら二人で年老いて、よぼよぼになってもお互い皮肉を言い合って笑いあっていると思っていたけど、そのついこないだ、突然それが無くなった。
辛かった日々から解放された気分だった。
10年前の自分に「おかえり」って言われた気がした。
不思議と10代の時のように、未来への淡い期待が生まれてきて懐かしくて新鮮な気分。
皮肉だけど、この5年と半年の間、私はどれくらい自分のやりたいことをやってこれただろうと思う。
いつも不安に苛まれて、負の感情ばっかり。
一緒にいる時は安心できたし幸せだったけど、私はずっとそこで停滞していた。
今やっと自分の足で歩いていけるなら、大切な5年半だったと思うよ。
最近は、お座敷の居酒屋じゃないと落ち着かなくなってきました。
どんなにウェスタナイズされても、日本人の心は畳を求めているんだと思います。
スーパームーンは生憎の雨。
今日は2人で、約2年半お世話になった大家さんへ引っ越しの話しをしに行った。
昨年一度別れた時も、ド修羅場の合間に入ってくれた大家さん。
誰に対しても優しく時には厳しい大家さんの掛けてくれた言葉、
女はいつも優しく相手を信じて待ってあげるんだよって。
いつもいつも心に留めようとして、どうして肝心な時に思い出せなかったんだろう。
近所でも評判の仲良しだったのに、残念だと言ってくれた。
縁があるんだからきっといつかまた一緒になれるよと言ってくれた。
私たちは何も答えられずに、勝手な都合で越す事になったにも関わらず優しい言葉を掛けてくれる。
私はいつも自分の感情に任せて言葉を言い放つくせに、時には我慢しようとして堪えてもすぐに思い出して爆発してしまう。
その時はすっきりしても、気付いた時には何も取り戻せなくて一人になる。
何でこんな間違った生き方しかできないんだろう。
人に優しくしているつもり。だけどどこまでが優しさなのか。
初対面で笑顔で気さくに話す事はできる。
だけどそれだけ。
それ以上人と関わったら、自分の醜い部分も晒け出して傷つけて終わる。
そんな事を思った日、突然これからどうやって生きていけばいいのか不安になった。
どんな人間になりたいのかじゃなくて、どんな人間ならなれるのか。
私のレベルの人間性なら道は限られている。
お先真っ暗だなって思った。
失恋を乗り越えたら三十路。
最近は部屋がどんどん殺風景になっていきました。
思い出を捨て続けて、これからは物に思い出を託す事を辞めようと決めた。
今年も残り41日、此処を出て行く日も残り41日。
別れた話しを母親にした次の日に姉と叔母からメールが来た。
みんな口を揃えて「いい子だったのに」と言う。
本当にいい子だったんです。
いい子過ぎて私が甘え続けていたんです。
昨日はある絵描きさんと食事をした。
友達や彼以外の異性と二人きりで食事をするのは何年ぶりだろうと思いながら、違和感を感じつつ。
上野公園の一角でイルミネーションをしていたので見に行った。
とても綺麗だったから、彼も連れて来たいなと思った。これは癖になってる。どこで綺麗な景色を見る度に、一緒に見ていたいなとか今度連れてこなきゃとか。
そう思って、まだ私は次の段階に進むのにまだ時間が必要なんだと気付いた。
いつまでも引きずっていられないって忙しく動いても、心はずっとそこにあるから一歩も進んで無い事に気づく。
気付いてでももう戻れ無いから悲しくて、泣きたくなる。
最低でも付き合った年月の半分は必要って聞いた事があるけど、3年待ったら私はもう三十路。こんなフラフラ生きていて大丈夫なのかしら。
サザエさんも見れたし、明日から一週間また踏ん張りましょう。
素直になれるタイミング
大人になると、建前やプライドに縛られて、本当の自分の素直な気持ちを知る事が難しくなっているように感じる。
人と話していて、特にこの失恋の話しをする時、あれ、私こんな事本当に思っているのかなと疑問を抱きながら口だけは不用意に動く。
重い空気にしたくは無いし、誰かに分かってもらいたいとも思えない。
最近は文章を書いている時、Debussyを聴いている時、ヨガをしている時、
綺麗な月を眺めている時、
ふと自分の本当の気持ちに気付けるんだと気付かされた。
負の感情とか執着を捨てて、思い出せる。
やっぱ本当に心から愛してるって。
私の行き過ぎた我儘と執着でこんなめちゃくちゃになってしまった。
今は程よく落ち着いて、何も無い平和な日々を過ごしている。
でもきっとすぐ、こないだのように酷い罪悪感に苛まれて涙が止まらない夜が来るかもしれない。
そしたら素直になれる時間を作ってあげようと思う。
というメモ。
今週も残り2日で終わり!
女は上書き
あれから2週間が経ちました。
その間にたくさんの下書きを書いては公開せずに溜まっていきました。
色々な考えが混在していたので、なかなか文章として形にすることができませんでした。
今日のタイトル、「女は上書き」と言う人がいます。
本当にそう。
たった2週間でこんな心境になる自分にびっくり。
しばらく全く人に会いたくなくて、休みの日はとりあえず家にある要らない物を捨てまくった。私地球にもお財布にも悪いことしてるなあと思いながら。
SNSの写真達も整理整頓。
5年間の思い出達はほんの数日で大半がゴミ箱に消えていきました。
部屋の掃除している時に昔の漫画とか出てきて読みふけっちゃう時があるけど、一個一個の思い出思い出してたら、捨てられない。
でもすぐかまたは遠い未来か、私はふとこの別れに苛まれる時が来ると心構えをしている。
今私が上書きしようとしているのは、自分を取り繕って何とかして生きていこうとする為。
今は笑って、一人の時は思いっきり泣いて繰り返して、
ちゃんと自分が何者なのか向き合っていかなければと。
何かに縋って甘えて生きてまた同じ過ちを繰り返す余裕はないのです、年齢的に。
今週は高校時代からの親友に会ってきます。
なんだかんだ、一緒に居て楽しいだけの友達より何年何十年って気付いたら側にいる友達って一生の友達ってゆうのかなと思う。
今日の金曜ロードショーはトトロです。
私についてのサマリー①
現在26歳、女。
3兄妹の末っ子として、かなりのシャイに生まれ育った。
知らない人に会う時は、親や兄姉の後ろから覗き込むような超典型的な人見知りでした。
その超典型的な人見知りのせいか、元々性格が悪かったのか、小5のクラス替えで友達がいなくなったのを覚えている。
中学くらいで完全に孤独になった。
高校受験中は、受験のストレスと友達いないストレス、姉がチンピラと付き合い始めたりお祖父さんが亡くなったり、100人中100人が乗り越えられそうな壁を乗り越えられなくて、とりあえずそうゆうのから逃げ続けて行き着いた先で、
ギターを始めた。
それから今では想像がつかないくらい積極的に活動を始めた。
高校生になってからは、学校外でいくつもバンドを組んだ。
ヤンキーが多い高校ってだけあって、私もこの時グレた。
まあそのお陰で友達はたくさんできたし、人生で一番苦しくて楽しい時だったといつも思う。
そんなこんなで当時一緒に活動していたバンドメンバー(当時30代前後の大人達)の影響で渡米を決める。
高校卒業後すぐに渡米。カリフォルニア州の大学(コミュニティーカレッジ)へ入学。
ディス・イズ・アペンレベルの英語だったけど、半年くらいで適当に英語も喋れるようになり、ご縁で彼氏ができる。
この人の事はまたいつか書きたい。
2年付き合い、1年の同棲の末一方的に別れを告げられた。
(そう、よく同棲する女はやばいってどこかで読んだ事がある。)
別れの原因は、”好きじゃなくなったから”。
初めての大失恋に悶絶した。
この最悪なタイミングで3.11が起こった。
家族と連絡が付かない日が続き、憔悴しきってたいた私に「お前んち大丈夫なの?」って唯一声を掛けてきたのが、彼だった。
当時のバンド仲間、ギタリストとベーシストという関係。